[読書」Lawrence M. Principe, ”Transmuting History,” Isis 98, 2007: 779-787.
from Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録
(2009-3-11 9:00)
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Janet Gleesonの、The Arcanum: The Extraordinary True Storyを材料にして、科学史の歴史小説の問題を論じる。この小説の主人公は、Johann Friedrich Böttgerで、この人はもともとベルリンの薬剤師の徒弟だったが、その修業ののち1701年に銀を金に変える実験をしてみせた。それを聞いたプロイセンのフリードリヒ二世が彼を捕えて自分のところで働かせようとしたので、Böttgerはザクセンへ逃げ出し、そこでザクセン公に捕えられ ...
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[読書]John Gascoigne, ”’Getting a Fix’ The Longitude Phenomenon,” Isis 98, 2007: 769-778.
from Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録
(2009-3-11 9:00)
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Dava Sobelの歴史小説Longitudeを題材にして、いかに歴史的研究と歴史小説が異なるか、そしてそれでも歴史家が歴史小説からなにを学べるかを論じている。違いはいろいろあるわけだが、ひとつは、スタイルの単純さである。Sobelの文章は、一般向けにわかりやすく、研究者の文章とは大違いだ。だが、その理由の一つは、比較的単純な解釈・断定に基づいて書かれているからだ。歴史家のように、限られた事実から言いうることを厳密に限定し、他の解釈の可能性を述べながら叙述するのに比べて、歴史家はそのような面倒なこと ...
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[読書]Kathryn M. Olesko, ”The World We Have Lost: History as Art,” Isis 98, 2007: 760-768.
from Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録
(2009-3-11 9:00)
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著者は、歴史小説には確かに教育的(propaedeutic、入門的・準備的)効果があるが、それは一般市民に対してではなく、歴史家に対してだという。それはつまり、証拠(事実とされること)と歴史記述の間の関係、あるいは歴史認識(historical epistemologyをしかたないのでこう訳しておく)と叙述構造(narrative structure)の間の関係を、批判的に考察する機会を与える、とする。 著者(ってあのKathyか)は、Daniel Kehlmannの『世界の測量』を例にしている: ...
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[読書]Jan Golinski,”Introduction,” Isis 98, 2007: 755-759.
from Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録
(2009-3-11 9:00)
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Focus: History of Science and Historical Novelsのイントロ。科学史関係での歴史小説がいろいろ紹介されている。とくにFraynのCopenhagenに注目(これは小説ではなく戯曲だが)。Golinskiの主張は、歴史家が歴史小説の不正確さや、解釈の一面性、あるいはステレオタイプを強化する問題点を指摘するのはもっともだが、歴史小説のナラティブから、そのテクニックを学ぶなど、歴史小説から得られることもあるのではないか、という。また解釈という点では、Copenha ...
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[読書]今日届いた本
from Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録
(2009-3-11 9:00)
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総研大のILLを利用。意外と早く届いた。 Monsters And Mad Scientists: A Cultural History Of The Horror Movie 作者: Andrew Tudor 出版社/メーカー: Blackwell Pub 発売日: 1989/12/30 メディア: ペーパーバック 素晴らしい。いつか、こんな題名の研究書を書く機会があるだろうか。 The worst thing about writing this book has been ad ...
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[日記]
from Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録
(2009-3-11 9:00)
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朝から大学。例によって書類書きその他の雑用はなくならないが、だいぶ落ち着いてきた。 翌日の出張の準備。
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[読書]Stephen Hilgartner, ”The Dominant View of Popularization: Conceptual Problems, Political Uses
from Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録
(2009-3-10 9:00)
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やや短いディスカッション・ペーパー。Hilgartnerはこのころはまだコーネルではなく、コロンビアにいたらしい。 科学のポピュラリゼーションの問題。これは大衆化、通俗化、と訳しておくべきところか。著者のいうdomiannt viewというのは、「純粋な」、本物の科学に対して、それが単純化され、ゆがめられた「通俗化」された科学があるというもの。実際には、こういう見方には問題があって、「本物」の科学と、「通俗化」された科学との間というのははっきりとしたを境界をさだめることができず、科学者であっても領域間 ...
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[日記]
from Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録
(2009-3-10 9:00)
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10:30から、臨時プログレス、昼からランチミーティング。 眠いが、昨日よりはよほど体調がよい。 このところ、新聞の報道が奇妙であると感じている。まあ、どうせあまり見ないから関係ないけれど。 このところ、終バスに駆け込み乗車することが日常化している。
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[読書]Roger Silverstone, ”Communicating Science to the Public,” Science, Technology, and HUman Val
from Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録
(2009-3-9 9:00)
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本日の軽い論文その2。これもイギリスの科学コミュニケーションに関するもの。しかし、これはいまひとつ論文の体をなしていない。著者は、マスメディア、博物館、学校の三つの分野における三つの科学コミュニケーションプロジェクトから、共通すると著者の主張する特徴を指摘している。第一に、それらのプロジェクトの前提である。 1. There is no such thing as the communication of science. 2. There is no such thing as the public ...
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[読書]Steve Miller, ”Public Understanding of Science at the Crossroads,” Public Understanding of S
from Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録
(2009-3-9 9:00)
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睡眠不足の時の軽い論文、その一。2000年の英国貴族院の”Science and Society”報告を機会に、イギリスにおけるPUSを振り返った論文。イギリスにおけるPUSは、1985年のRoyal Societyの報告書、”The Public Understanding of Science”、ワーキンググループの長だったWalter Bodmer卿にちなんで、Bodme Reportとよばれるものに始まる。このときに科学者というのは、俗世間から離れて、名声を追わずに、霞を食っている、というモデ ...
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